「パーティ」をめぐって


内沼晋太郎(クリエイティブ・ディレクター)


東京は眠らない街だというのは本当だ。たしかに、電車はせいぜい午前1時までしか走っていないけれど、週末はもちろんのこと平日でも、2時や3時になっても渋谷や六本木には、不思議なくらい多くの人があふれている。そして、明日の仕事のことなどお構いなしに、今夜も至る所で行われているパーティに繰り出していく----と書き出したとき、ここでパーティという言葉が指しているイメージは、ぼくが深夜の渋谷や六本木という前置きをつけたせいで、かなり限定されたものになっている。しかし実際は、パーティという言葉ほど、人によって、あるいは時と場合によって、イメージが異なるものはなかなかない。

何の前置きもなしにパーティと聞けば、引っ越し祝いなど個人宅で開かれるようなアットホームなものを想像する人もいれば、各界の有名人や資産家だけが集まり夜な夜な繰り広げられるセレブなものを想像する人もいるだろう。もちろんクラブイベントや野外音楽フェス、レイヴなどのことを指すことも多い。あるいはある種の式典的なもの、儀礼的なものをイメージすれば、ひろく一般に祭と呼ばれるものも一種のパーティだ。「アート合コン(*1)」という名のパーティも開かれていることに象徴されるように、合コンもひとつのパーティだし、友達との飲み会や、カフェでのおしゃべりや井戸端会議、キャンプやバーベキュー、オフ会、フラッシュモブなど、いろいろなものがパーティ的であると言えなくもない。また言葉としては、たとえば政党のこともパーティというし、最近多くの人が街中で「すれ違い」まくっている「ドラクエ9」などのRPGで仲間たちのこともパーティという。ひとつの目的、あるいはコンテクストを共有している人々の集まりのことを総称すると考えると、引っ越し祝いからドラクエまで、それらはひとつのゆるやかな概念として繋がるように感じられる。比較的ゆるやかな場があって、そこに設定された共通のコンテクストのもとに、あまり固定的ではなく各所から人が集まり、必ずしも同じことをしているわけではないが、リアルタイムで同じ時間を過ごす、というような共通点が見出せる。

Food Creationのパフォーマンス

2007年に開催された101TOKYO Contemporary Art Fair 2008のオープニングではFood Creationがパーティフードをサーブするパフォーマンスを行った

アートの現場においても、小さなギャラリーでの展覧会から大規模なアートフェスティバルまで、オープニングパーティやレセプションパーティ、クロージングパーティ、あるいは関係者懇親会などという名目で、パーティが開かれる。しかもそれは、かなりの確率だ。「オープニング、やらないの?」「今回はクロージングにしたんです」と、当然のように交わされる会話。それらは必ずしも、いつも楽しいパーティであるとは言えないようにも思うのに、どうしてそれほどまでに必要不可欠なものとされているのだろう。

たとえばぼくがパーティと呼ばれるものを生まれてはじめて体験したのは、おそらく小学生のころの友達の誕生日パーティではないかと思う。いまも一般的なものであるのかどうかはわからないが、少なくとも80年代末から90年代初頭にかけて埼京線の駅から徒歩15分ほど離れたマンションに住んでいる典型的な「埼玉都民」の子であったぼくの小学生時代には、自分の家に友達を招いて自分の誕生日会を行うというのが、普通のこととして、多くの家で行われていた。欧米から輸入されたいわゆるホームパーティの一種であるわけだけれど、学校の外で、必ずしもふだん遊びに行くとは限らない友達の家に呼ばれて過ごすというのは、まぎれもなく特別な体験であった。また、誕生日を迎える子の側にとってみても、それがスペシャルな一日であることはもちろんのこと、そのパーティに誰を呼ぶかを決めるという行為が、小学生に典型的な爽やかなる残酷さで「あの子は友達か否か」の線引きを行うという役割も果たしていた。そして結果的にそのほとんどを取り仕切ることになるホスト側の親にとっても、用意する料理から集まってくる子たちへの気遣いまで、それなりの大事であったことは想像に難くない。

そんな子どもやお母さんたちの苦悩の一方で、歴史に名を残すパーティ・オーガナイザーというのも数多くいる。映画『パーティ★モンスター』で9年ぶりのスクリーン復帰を果たしたマコーレ・カルキン扮するマイケル・アリグも捨てがたいが(なにせ彼が活躍したNYの「ライムライト」「トンネル」「パラディウム」といったハコの全盛期もその80年代末から90年代初頭、ぼくの小学生時代とぴったり重なるのだ)、ここではさらに歴史をさかのぼり、エルザ・マックスウェルという人物を紹介しよう。「エルザは最も有名なパーティ・ギヴァーであるといわれている。パーティを与える人というのはおもしろい言い方であるが、パーティの演出家とでもいっておくべきだろうか。1920年代はパーティの時代とでもいえるほどパーティがはやった。ふつうのパーティではつまらないので、いろいろ変わった趣向をこらしたパーティが企画された。出席者はパーティの趣向に合わせて仮装して出かけた。おもしろいパーティをやって人気を集めたいときはエルザ・マックスウェルに頼めばいいという評判ができて、彼女は社交界でひっぱりだこになった。(*2)」いわゆるセレブが集まる社交界のパーティ、というイメージはぼくらにとって映画や小説の中の世界でしかないけれど、実はエルザ自身は、まったく良家の出というわけではない。たまたま開いたパーティが評判となったことをきっかけに、少しずつあらゆるジャンルの有名人と知り合い、そのネットワークによる集客がまたパーティの質を後押しする形で、少しずつ社交界でのポジションを確立していったのだ。

Freedom Sunset

海と夕日と音楽を展望灯台から楽しむフリー音楽イベント「Freedom Sunset」*7

たとえば今日の東京の夜を彩るクラブイベントにおいて、パーティ・ギヴァーにあたる役割を果たすのは、そのイベントのオーガナイザーであり、DJである。オーガナイザーは会場となるクラブを押さえ、DJをブッキングし、フライヤーのディレクションや告知文の制作、それらをつかった集客の取りまとめを行う。ハコのシステムやそことの関係性にもよるが、たいていはノルマ制で一定数の客を集めないと赤字が出てしまう。客にとってはさておき、少なくともオーガナイザーにとっては、集客数というのはパーティの明暗を左右するひとつの大切な要素なのだ。そしてよほどの有名イベントか、相当話題のDJやライブなどが行われない限り、ただなんとなく告知をしてフライヤーを撒くくらいでは、充分な集客は得られない。オーガナイザーとそれぞれのDJが協力して、友人知人など自分のイベントにふだん来てくれる客に、個別に連絡を取っていく。今日ではインターネットがそのための強力なツールだ。ブログやSNSを介して広く、そしてPCもしくは携帯のメールによって各々に、それぞれコピー&ペーストされた告知文と、フライヤーのグラフィックが流通していく。

また一方で、パーティ自体が秘密裏に行われていて、その集客が人の目を避けるようにして行われることもある。「話はこうだ。マンチェスターのハシエンダというクラブに行くと誰かが電話番号を書いた紙をくれる。そこに電話すると集合場所を教えてくれて、行くと車が待っている。車にいる男が次の目的地を教えてくれる。そこ行くとまた別の車が待っていて......そうやって最後まで行くと、荒野の中に巨大なスピーカーがあって、昼過ぎまで何千人も踊り狂っている......らしい。(*3)」パリで学生をしていた著者は、パーティで出会った見知らぬ人からこの話を聞く。後にセカンド・サマー・オブ・ラブと呼ばれることになる1988年のことだ。現代であればこういったパーティは、限定した特定多数に知らせることができるメールや、クローズドなSNSなどで集客されるだろう。それはこうした秘密裏のパーティでなくとも、オーガナイザーたちがよく使う手である。なぜなら、エルザがオーガナイズしたような社交界のパーティに限らずとも、小学生の誕生日パーティにおいてでさえ、集まる人々自体がパーティの重要なコンテンツのひとつであるからだ。コスト面で集客数を考えざるを得ない一方で、パーティそれ自体の質について考えれば、消費財のプロモーションのためのパーティでもない限り、必ずしも誰でもいいからとにかく人がたくさん来ればいいというわけでもない。これは、パーティと呼ばれるものにほぼ共通するひとつの特徴であるといえよう。

また、そうしたツールの普及に拠らずとも、時代と共にその流行が移り変わっていくのもまたパーティの特徴だ。ここ数年の時代の変化と共に見られるようになったパーティ的なものの例としては、まず高円寺「素人の乱」界隈を中心に広がっているサウンドデモが挙げられるだろう。「声を合わせてシュプレヒコールするグループ。拡声器を片手に一人好きなことを訴えている人。サウンドカーのすぐ後ろで踊っている人々。プラカードのメッセージには過激なものもあるが、殺気立っているというわけではない。雰囲気はいたってピースフルだ。音楽のビートが独特の祝祭的な雰囲気を醸し出している。その多くは若い人たちだが、ちらほら家族連れの姿も見える----。(*4)」一見、昔からあるいわゆるデモかと思いきや、その中身はきわめて現代的な問題を孕んでおり、こうした動向は日本に限らずヨーロッパなどでも同時多発的に見られている。

現代ならではということでいうと、インターネット上の各種コミュニティサイトにも、ある種のパーティ的な要素を見出すことができる。そこには場がありコンテクストがあり、人が集まってリアルタイムにコミュニケーションが行われているからだ。たとえばTwitter(*5)をモバイルで使うためのツール「movatwitter」の開発者である藤川真一氏は自身のブログにこう書いている。「僕はパーティ会場での会話と比喩するが、パーティ会場に沢山の人が介していて、たまたま目の前にいる人と話をしたり、次の人と話をしたり、その中で有益な情報を得ることもあれば、ただただ楽しいこともあったり、というあたりの魅力をTwitterに見出している(*6)」このエントリで書かれているのはTwitterに特有の特徴だけれど、掲示板からネットゲームまで、新旧様々なサービスを「パーティ的である」という視点で眺めてみれば、ひょっとしたら退屈なオープニングパーティを楽しく演出するためのヒントが隠されているかもしれない、と思うのはぼくだけだろうか。

「場をつくりたい」という話を、よく聞く。様々なジャンルの面白い人たちが日々集まり、自由に出入りしながら常に何か新しいものが発信される、そう、たとえばアンディ・ウォーホルの「ファクトリー」を現代の東京につくるような----というイメージのものばかりとは限らないが、そういった自由で創造的な枠組みとしての「場」は、ひとつの大きな共有された欲望であるように思われる。オルタナティブ・スペースという呼称も一時期ほどはあまり聞かれなくなったけれど、それでもギャラリーやカフェ、ショップという形をとりながら、あるいはひとつのストリートや、ひとつの地域をフィールドとしながら、ある種の「場」に対する欲望は東京のいたるところで続いている。

先に「必ずしも、いつも楽しいパーティであるとは言えないようにも思うのに、どうしてそれほどまでに必要不可欠なものとされているのだろう」と書いた。その答えは、実はまだ分かっていない。ただ少なくともいえるのは、ぼくたちはたとえば美術を観にいくとき、必ずしもそこにしつらえられた美術作品のためだけに集まるとは限らない、ということだ。そして、東京がいま欲望している「場」に、常に働いていなければいけないはずの力は、「良い」パーティと呼ばれるものがもっている一過性の力と、どこかで通ずる何かのように思える。ぼくはせめて、目の前のつまらないパーティをもっと面白くするために、そもそも「良い」パーティとは何なのかということ、パーティ的なものというのは何かということについて、しばらくの間、もっと考えることを続けてみようと思う。これからの東京を面白くするためのヒントが、そこに隠されているような予感がしてならないのだ。

*1.「アート合コン」は株式会社Civic Artが企画しているパーティで、8月29日には山本現代とNANZUKA UNDERGROUNDを会場に第2回が行われた。 http://www.civicart.jp/gokon/party_090829.html

*2.海野弘『モダンガールの肖像−1920年代を彩った女たち』(文化出版局)より抜粋。

*3.清野栄一『RAVE TRAVELLER 踊る旅人』(太田出版)より抜粋。

*4.毛利嘉孝『ストリートの思想』(NHK出版)より抜粋。

*5.Twitter(ツイッター、またはトゥイッター)は、ブログとチャットを足したような新感覚コミュニケーションツール(ニコニコ大百科)。近況は「今、Twitterで何が起きているのか?」などに詳しい。 http://b.hatena.ne.jp/articles/200906/249

*6.「F's Garage:【twitter話】ネットを使う人には2種類のタイプがある」より抜粋。 http://www.milkstand.net/fsgarage/archives/001626.html

*7.イベント開催日は、SNS、mixi内の承認制コミュニティに加入する参加規約に同意した人に告知される。例年、神奈川県・江の島で期間限定で開催。(追記. 2009年9月以降のイベントは、集客増加に伴い、安全性の確保とクオリティーの維持、パーティーの赤字運営が続くため、これからも質の高いパーティーを持続させるため、有料化に踏み切った)

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