「水の都市」復権への大きな可能性
陣内 秀信
現代東京での海中渡御
舞台はお台場海浜公園。日曜日の朝、都心のダイナミックな水景が開ける気持ちのよいこのビーチには、普段とはまた違う晴れがましさが漂っていた。品川にある荏原神社の海中渡御を待ち受ける人達がすでに大勢集っている。昨年の6月3日のことである。情報をキャッチして,私も駆けつけた。
江戸時代、「水の都」の文化をおおいに発展させ、深層にその記憶を留める東京。各地で行われていた海上や海中の渡御のスピリットを受け継ぐ貴重な祭礼が、現代東京を象徴するお台場海浜公園で今も繰り広げられるのだ。品川といえば、江戸以前の中世から、漁師町、舟運の港として繁栄し、水との精神的な深い繋がりをもった地域である。安全、豊漁を祈念しての海中渡御がその伝統行事として今日まで継続してきた。
16、7艘もあっただろうか。品川の荏原神社を出発した船団が目黒川から東京湾に出て、臨海部の超高層群をバックに、水上をパレードし、お台場海浜公園の入り江に到着。1艘目に神社の神主をはじめ地域のリーダーが、そして2艘目に神輿が乗る。すべての船が舳先を手前に向けて勢揃い。男どもが次々に水に入って船から神輿を降ろし、勢いよく海中で担ぎ、力強く揉む。恍惚の表情で神輿に背を寄せながら横笛を吹く若い男女の姿が印象的だ。砂浜と海の中を行き来しながら、小一時間、熱狂的なパフォーマンスが続いた。観光色はまったくない。何世紀も続いてきた品川の地域コミュニティのスピリットが、現代文化の発信基地の一つ、お台場海浜公園を舞台に強烈に表現されるのだ。東京の誇る文化的アイデンティティの一つがここにあると強く思った。
多彩な意味をもつ都市の水
80年代のウォーターフロント・ブーム以後、東京でも、水辺再生の動きが色々と展開してきた。しかし、まだまだ現実には、その水辺空間がもつ素晴らしい可能性を十分に引き出すことができていない。欧米の模倣が多いのも物足りない。日本には、この荏原神社の海中渡御のような、アジアの人達も含め、外国人がびっくりするような、水と親密に結びつく固有の都市文化があるのだ。それを思い起したい。
お台場海浜公園は、いい感じで水辺を回復再生してきた。自然がだいぶ戻り、アサリがたくさん採れるという。子供ばかりか大人も含め、夢中で貝を採る人々の姿が多い。自然がもっと回復すれば、この東京には、海外のウォーターフロントとはいささか違う、日本人が歴史の中で育んだ多様性をもつ都市の水文化が展開することになろう。
お台場海浜公園は、特に週末、様々な利用を見せる多目的空間となっている。9月末には、この入り江を使って、Eボート大会が盛大に催される。我が法政大学でも、環境調査用にEボートを購入し活用しているので、このイベントにも毎年、参加する。私も水しぶきを浴びながら、学生達と必死で漕ぐ。気持ちのよさは最高だ。
夕方になると、熱々カップルが水辺にぎっしり。そんな時間帯から、水上には東京各地から屋形船が集結。おそらく江戸時代以上に、現代の方が屋形船を楽しむ人の数は多いに違いない。身体と水が結びつく日本の文化の在り方が少しずつ蘇っているように見える。
そもそも、我が江戸東京は、洪水から守りながら、人々が水に親しむ独自の都市を育んだ。水の機能、役割がこれほど多様で、水が多彩な意味をもった所は世界にも少ないのではないか。水は飲料水、農業、漁業、舟運・商業活動、生産など、どれにも極めて重要で、宗教・儀礼・祭礼、レクリエーション、演劇、観光にも水は欠かせない存在だった。そして近代風に言えば、アメニティや風景の価値にまで深く結びついていた。実に日本らしい、こういった水の都市文化を育んだ遺伝子を大切にし、それを大きく育てたいものだ。
都心の舟運ネットワークの復活
確かに、海の上の近代の埋立て地であるお台場海浜公園の周辺は、自然が回復し、多様な活用を引きつけ、かなり面白くなってきた。問題は、江戸にまで遡る華やかな歴史をもった都市空間の中の水辺だ。アメリカに代表されるような、海に向って桟橋が並ぶ近代の港とは異なり、江戸から近代初期の東京では、内部を巡る掘割や河川に沿って、港の機能が分布し、都心、下町の全体が港町の活気に溢れたのだ。
しかも、東京は近代首都となり、掘割、河川沿いに、モダンな橋梁や建築のダイナミックな造形美を実現し、象徴性をもつ都市空間を沢山生み出した。江戸の情緒溢れる空間を基層にもちつつ、モダンな輝きをもつ空間をその上に重ね、華やかな都市風景を実現したのだ。戦後しばらくは、舟運も活発に使われていた。江戸橋のたもとには、震災復興時に建設された三菱倉庫の素晴らしい建築が聳えるが、竣工当時、格好いい最新のクレーンで荷を吊り上げ、倉庫に搬入していた様子が、貴重な記録映像によって知られる。
ところが、様相は逆転。近代化の進展とともに陸上交通の重要性が増し、やがて船が使われなくなった。用無しになった掘割はあっさり埋められ、あるいは下水道化し、高速道路の下に封じ込められる運命にあった。水辺が負の遺産になった。
だが、日本でも、豊かさや都市の個性が求められる段階になり、再び水辺の価値が大きく転換しつつある。本来、江戸東京の都市空間を特徴づけ、様々な都市機能を担ってきた河川、掘割、運河の周辺の水辺に、新たな役割と意味を加え、都市の最も魅力的な空間として再生させる可能性が高まっている。歴史的な建築のリノヴェーションやコンバージョンを通して、アートの世界と繋げることも面白い。アーティスティックな演出によって、橋脚や建築の外観、水辺の広場などに人々の熱い眼差しが向けば面白い。水辺や水上でコンサートを実現するにふさわしい場所は、随所に見出せる。水辺空間に関する現状のがんじがらめの規制を打ち破るためには、社会実験を通してルール、規範をつくり上げる必要もある。
特に、神田川・日本橋川・隅田川のループは、水と緑、近代建築と橋とが織りなす、東京ならではの華やかな空間軸だ。しかも、中央区の手で近々、日本橋のたもとに立派な船着き場が建設される予定であり、舟運の本格的な復活が期待される。羽田がハブ空港の役割をより担えばなおのこと、東京の都心にリムジン水上バスで空港から直接、気分よく乗り込むことも可能になる。水上タクシーの導入もおおいに検討すべきだ。そうすれば、水辺のホテル、レストランの可能性も生まれてくる。採算をとることは当面は難しいだろうが、長い目でそれを育てていきたい。
東京スカイツリーを活かす構想
墨田区押上に急ピッチで建設されつつある東京スカイツリーがこの位置に登場する意味は大きい。この地上450メートルの展望台からの眺めは、実は、幕末に繰り返し描かれた江戸鳥瞰図の視点とほぼ同じものなのだ。その事実も、この塔を押上に誘致するうえで重要なファクターとなった。
21世紀の東京人が、江戸っ子と同様に自分の町を眺められるのだから、何ともエキサイティングだ。大気の状態とともに、奥多摩、秩父の山脈に源をもつ東京の地上と地下の水の流れが想像でき、内壕・神田川・隅田川から東京湾へと注ぐ河川の流路も手にとるようにわかる。この塔からの眺望体験は、東京の姿を歴史とエコロジーの視点から振り返るのに、大きな役割を果たすに違いない。
そして、東京スカイツリーの足下には、北十間川が流れる。それは横十間川、旧中川、小名木川と繋がり、閘門を通して荒川とも結ばれる。現在、樋門で塞がれている状況を何とか技術的に克服できれば、すぐ近くの隅田川への船での回遊が可能になる。公共投資も、都市や地域の文化的な環境価値を高めるこうした大きな事業に振り向けていくべきだ。防災にもおおいに役立つ。目下、河川工学の大御所の宮村忠氏を中心に、墨田・江東地域の水路を繋ぎ、舟運のネットワークを創り出すための調査、研究が進められている。同時に、この地域全体を、船に加え自転車、徒歩でも巡りながら、水が育んだ歴史と生活文化を楽しむことのできるエコミュージアムをつくる構想も今、検討されている。
こうして東京が誇る豊かな地形、川や掘割などを活かした地域づくりを考えれば、この巨大な現代都市においても、歴史の記憶と結びついた文化的な個性をおおいに発揮できるはずだ。グローバルな世界にあって、日本の特徴を活かした21世紀の都市環境を創造できるに違いない。
次回は 巻上 公一さん(ミュージシャン)です