8月23日(日)「東京の解像度」
畠山 直哉(写真家)×毛利 嘉孝(東京芸術大学 音楽学部音楽環境創造科 准教授・社会学者)

「東京のモノ性と時間性」 畠山直哉

レクチャー

畠山直哉氏


例えば、ふだん見慣れている自分の部屋などを写真に撮ると、何か別のものとして感じられる。それが写真を撮ることによる「距離化」であり、「今、ここ」ではない別の世界像を想像させるものになる。写真家もまた時代性や場所性に制限されるために作業には個人の限界があるが、それでも今回は、写真によって生じる「東京」との距離を作品を見ながら考えてみたい。

東京に住み始めた頃、建物などが密集していて写真が撮りづらいと感じた。そこで向かったところが、東京タワーやサンシャイン60、東京都庁などの高層階。そして、そこから空を入れずに街を俯瞰する写真を撮り始めた。当初は、見慣れたものを平面的な図案のように写しとることにより、日々の外側に立っているような感覚を生み出すことに関心があった。狭い区画に密集した建物群を撮った写真から「東京」のディテールを仔細にみてゆけば、壁の曲がり方など街の細かいところにある秩序が見えてきて、そこに美しさが感じられた。また、20年に渡り「東京」を撮り続けているうちに、次第に街の歴史を記録してしまう写真のあり方にも関心を寄せるようになった。

街を俯瞰する写真作品から、渋谷川の作品シリーズへ。ふだんは渋谷付近からの湧水と浄化された排水が流れている渋谷川の、コンクリートで固められた護岸を川面まで降りて撮影したものだ。特に渋谷駅付近の暗渠において、地上で行き交う人々の声や足音を聞きながら得た、都心において一人であるという自由は、「東京」に対する別様の距離化によるものだ。地下の産業的な空間やそこで生きている生物などの写真は、特別なテクニックを使わなくとも、人に「美」という言葉を連想させるものになってしまうことも知った。

最後に最近の仕事として、山手通りの工事現場を北から南へ歩きながら撮影した作品シリーズがある。建物やモノが密集していて、狭さを積極的に負わざるを得ない状況において、フレームいっぱいにモノをぎゅうぎゅうに詰めて写真を撮ると、そこにさえ東京の秩序が現れてくるようだ。また、東京は「常に工事中である」という印象が写真による距離化によって強化され、工事以前からあった建物の素材すら仮の素材でできているように感じられてしまう。


「『ストリート』から見る東京」 毛利嘉孝

レクチャー

毛利嘉孝氏


「ストリート」とは、もともとそこに住んでいる人々のみならず、一時的に滞在している人やたまたま通りがかった人々をも含んで成立するものとする。その通りすがりの移動する人々を中心に都市を眺めると何が見えてくるかについて考えたい。

現在、郊外のみならず都内でも再開発事業による街の均質化が見られる。下北沢では、行政と地主が主導で駅前の再開発が進められているが、そこでは街に短期的に滞在している人々や週末などに街にやってくる人たちはその可否を巡る議論に参加できない。それゆえ、それに異論を唱える人々によってさまざまな運動が展開されている。最近の運動は一昔前とは違い、演劇や音楽の街である下北沢では、演劇関係の人々やミュージシャンが主体となり、直接的なデモ行為というよりはジャンルを超えてアーティストなどが多数参加するイベントという形式を取っている。私自身も、駅前で下北沢の窮状を考える研究会「下北沢路上解放戦線」などの活動をとおして、街は誰のものかという問いを投げかけている。

その他の例として、JR渋谷駅高架下の国道246号線が労働者の寝泊まりの場になっていたところを路上ギャラリーにするという区の計画に対し、行政とは違うアプローチを提案したアーティストの集まりである「246表現者会議」や、同じく渋谷の宮下公園がナイキによって「宮下NIKEパーク」と名づけられるとともに有料のスポーツ施設になる計画において、有名無名のアーティストが集会やデモを行い、その様子を映像や画像をインターネットで配信することで、運動を周知してゆく活動もある。

現在、東京ではローカルなコミュニティー運動が盛り上がりを見せている。この文化的背景として、ハル・フォスターを引用しながら説明すると、一つは、自律的に運動してゆく芸術がある一方で、経済や政治・社会を参照系に展開する芸術があり、そしてもう一つは、90年代の多文化主義におけるアイデンティティや身体性を追求する動きのなかで、都市に積極的に関与する実践としての芸術が行われたということが挙げられる。また、1990年代に再評価された19世紀末のフランスの詩人であるボードレールや20世紀の初めにドイツで活躍したベンヤミンの思想は、ダンディーや麻薬などを例に、刺激を飼い馴らすといった独特の都市との距離の取り方があったことを私たちに知らせてくれる。そうした芸術と都市の関係は、2000年代に入ると、新自由主義のもとでそのような芸術がマーケットに取り込まれるようになり、現在では、それが再定義されるようになっている。

最後に、ストリートでの芸術が再定義されるなか、下北沢や渋谷の文化政治運動は、いずれも、商業的な力によって起こされる新しいものに対して「守る運動」である。また、従来の政治的な運動と異なり、これらの運動が形式や方法において文化的な側面を持っていることにも注目すべきだ。

畠山直哉×毛利嘉孝 ディスカッション

レクチャー


前半のプレゼンテーションを踏まえ、都市との距離のとり方などについて多角的な議論が行われた。

毛利氏が、畠山氏の写真に人物が写っていないことを指摘して、人が死に絶えたような光景であるという印象から語り始めた。それに応じて、畠山氏は、それは対象との距離と関係するという話を展開。日常との距離を生じさせる表現は、人間的なものあるいは日常世界から離れるという心理的な危機を人々に生じさせると言う。毛利氏は、人が写っていない写真は不気味というが、畠山氏はそれこそが「distanciation」や「alienation」の意味だといい、日常のさまざまなものから切り離されると人間は発狂するということと、写真という道具を使いながら距離を生じさせつつ意思伝達が成立する地点を探るという撮影行為を重ねて論じた。

レクチャー


続いて、畠山氏は、東京は世界の他の都市に比べて地理的な広がりがあるが、多くの人々はその大きさを気にしないどころか、「東京」という一つの概念で捉えて暮らしているのは驚きだと語り、だからこそ身体的にも精神的にも負荷がかかるのではと印象を語った。それに対し毛利氏は、近年下北沢や高円寺など、直接的な人間関係を作ることができる狭い範囲でイベントや表現活動が行われてきているとした。さらに、それは、予測不可能性からくる不安を払拭するために東京の街を区画整理して管理下に置く傾向に対する違和感の表れではないかとの見方を示した。

ここで畠山氏は、アート論へ話題を変え、「アートはすべからく社会参加すべきとは思わない。人を助けたり、社会を良くするだけのために生まれる義務などない。」とし、それよりも例えば大きな声で歌うなど単純な欲求に基づくのではと言うと、毛利氏は、アートは人や社会を良くするとは思わないと呼応しつつも、政治参加するアーティストを見てゆくと「自己防衛」というキーワードが出てくるとし、社会が表現の可能性を抑圧していることに対するアーティストの動物的な処しかたであるという意見を述べた。

ここからさらに90年代以降のアートのあり方について議論は進み、畠山氏は、80年代ごろからアートは政治や権力や性などの近接領域と関係しながら大きくなってきたが、それとともにそれまでアートを律していた思考や形式が崩れ始め、旧来の視点から見たら「ダメな」あるいは「ぐずぐずな」アートが入り込んできたとし、その混乱のなかでアートは探られるものになったとの見方を示した。そうした状況を踏まえつつ、自身は、写真を撮ることは視線を支配し、人々に対して「世界」の外から「世界」を知らせたいという、超越への欲望の表現であり、それが90年代以前の対象との距離のとり方であるということを再確認した。ここで毛利氏は、そうした写真においても実は作家が支配しきれない部分があるのではないかという疑問を呈し、そこに集団的無意識が表される可能性について意見を交わすと、畠山氏も無意識を美学的な特質として扱うことが自身にとって写真を始めるきっかけとなっていると語った。

質疑応答

AITのロジャー・マクドナルドが畠山氏に、小澤慶介が毛利氏に質問をすることで始められた。
マクドナルドが、畠山氏の写真をとおしての距離のとり方が、90年代以降に増えた参加型の作品とは違うことを指摘したことについて、畠山氏自身は、自身のような方法が一般に写真的な美を生み出すものとされた近代という時代性を認識した上で、その態度は「今ある世界に慣れ親しんでゆくことに対する拒否」であると答えた。また、小澤は50年代や60年代に見られたハイレッドセンターやネオダダなどのストリート上での表現活動と90年代以降のそれとの違いを毛利氏に質問。毛利氏は、60年代は仮想敵を想定しながら外部からパロディー化していた時代とし、80年代から90年代になると「外部に出る」ことが難しくなった時代とし、外部に出て特権的な場所から発言するわけではない人々がアーティストになり、そこにこそ可能性が見出されるようになっていると答えた。

また、会場からのアートと社会の関わりをどのように考えたらよいかとの質問について、畠山氏は、社会を良くすることは、アーティストのみに負わされた課題ではないとしながら、アートはもっと自由なものであり、もし受け手に及ぼす社会的な効果があるとするならば、「ものの見方を含め、人々を縛っている約束事から、人々を自由にしてゆくこと」だと語った。それに加え、毛利氏は、昔の思想家や哲学者が活字文化で負ってきたような役割を、視覚文化が支配している現代社会においてはアーティストが唯一担うことができるのではないかとし、社会はそのアートとどう関係をとるのかということを考えるべきとした。

原稿作成協力:大場勇太 / 校閲:AIT 小澤慶介
写真:越間有紀子

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